2020-07

5階映像・音響室からのお知らせ

古関裕而と福島三羽烏

 6月13日(土)より5階映像・音響室では、朝ドラの主人公のモデルである作曲家・古関裕而さんの音楽が収録されたSPレコードや歌詞カードを展示しております。また、古関さんの長男・古関正裕さんのオーラルヒストリー(証言映像)もご覧いただけます。
 ぜひ御来館ください!!

 <展示資料>
 ・歌詞カード:「ガット軍楽歌」、「露営の歌」、「愛国の花」、他
 ・SPレコード:「福島行進曲」、「長崎の鐘」、他
 ・試聴機コーナー:「船頭可愛いや」、「暁に祈る」、「東京だョおっ母さん」、他

古関裕而と福島三羽烏(ポスター)

古関裕而と福島三羽烏(展示風景)


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おうちで映像・音響室の資料を見てみよう!

昭和館では、4月25日から5月6日までステイホーム週間特別企画として、映像・音響室が所蔵する資料から順次クイズを出題いたします。ご自宅で推測して答えを考えてみてださい。
※回答は出題の翌日、追記で掲載します。



本日は映像・音響室が所蔵する映像資料からの出題です。映像のキャプチャ画像から推測してみてくださいね。
昭和20年(1945)9月の占領期に米軍が撮影した映像で、東京や横浜の街頭風景が映し出されています。現在この建物は残っていませんが、昭和9年2月に開館した東宝宝塚劇場(東宝)初の直営映画封切館です。
さてここで問題です。こちらの劇場は東京のどのあたりにあったでしょうか。館名にも場所の名前が入りますよ!

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(米国立公文書館蔵)


(5月6日、回答を追記しました)
こちらの建物は「日比谷映画劇場」です。現在の日比谷シャンテが建っている場所にありました。
映像には劇場の周りに列をなす多くの人びとが映し出され、入口には昭和20年8月30日に公開された「花婿太閤記」上映中のポスターが貼られています。戦争が終わり、空襲に脅かされる毎日から解放された人びとの様子がうかがえます。
「日比谷映画劇場」はたくさんの映画ファンに惜しまれながら昭和59年に閉館となりました。

200090_2
(米国立公文書館蔵)

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(米国立公文書館蔵)

【参考】国立映画アーカイブ
https://www.nfaj.go.jp/onlineservice/digital-gallery/dg20130904_004/


ステイホーム週間特別企画は本日にて終了となります。お楽しみいただけましたでしょうか。クイズの出題に使用した資料は、昭和館5階の映像・音響室の端末にてご覧いただけます。臨時休館期間が終了いたしましたら、是非ご来館くださいませ。


おうちで映像・音響室の資料を見てみよう!

昭和館では、4月25日から5月6日までステイホーム週間特別企画として、映像・音響室が所蔵する資料から順次クイズを出題いたします。ご自宅で推測して答えを考えてみてださい。
※回答は出題の翌日、追記で掲載します。



とある島の岸辺で、二人の米軍下士官が向こう岸の高台にある建物と対岸につなぐ長い橋を眺めています。さてこの島の名前は何という島でしょう。

010494(投稿データ)
(米国立公文書館蔵)


(5月4日、回答を追記しました)
この写真は昭和22年(1947)に、愛知県蒲郡市の竹島という周囲680メートルの小さな島から撮影されました。三河湾に浮かぶ竹島は、全島が照葉広葉樹に覆われ、樹下にはヤブソテツやツワブキ、テイカカズラなどの高等植物が多く群生し、これらの植物群を保護するため昭和5年に島そのものが国の天然記念物に指定されています。また竹島には江の島・竹生島・厳島などと共に、日本七弁天の中のひとつとされている八百富神社があり、対岸の蒲郡市竹島町へは387メートルの歩いて渡れる竹島橋でつながっています。
高台に建っているのは蒲郡ホテル(現・蒲郡クラシックホテル)です。蒲郡ホテルは戦前に国際観光局から横浜、大津などと共に「国際観光ホテル」として選ばれました。
終戦後は昭和27年まで米軍のレストセンターとして接収され、米軍の福利厚生施設として利用されました。現在でも戦前と変わらぬ建物で営業されています。
蒲郡市内には蒲郡温泉郷があり、温泉観光地として親しまれています。

おうちで映像・音響室の資料を見てみよう!

昭和館では、4月25日から5月6日までステイホーム週間特別企画として、映像・音響室が所蔵する資料から順次クイズを出題いたします。ご自宅で推測して答えを考えてみてださい。
※回答は出題の翌日、追記で掲載します。



白い大きなアジア風の建物の前に多くの人びとが集まっています。大勢の人びとの中には大きな白象の像が目立ち、小さな子どもたちがその像を引いて歩いている場面です。さて、どこで撮られたものでしょうか。

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(米国立公文書館蔵)


(5月2日、回答を追記しました)
昭和22年(1947)4月に東京都中央区の築地本願寺の前で撮影されたものです。この写真は灌仏会(かんぶつえ)の「はなまつり」の光景です。
灌仏会とはお釈迦様の誕生日を祝う仏教行事で、一般的には「はなまつり」と呼ばれています。「はなまつり」では、生母の摩耶夫人が白い象を夢にみて懐妊しお釈迦様が誕生したとされていることから、白い象が登場し、その像を引いて練り歩く稚児行列を行うところもあります。そして境内の花御堂では安置した誕生仏像に柄杓で甘茶を掛けてお祝いをします。
近年の「はなまつり」は幼稚園や学校、地域の行事として行われることもあり、多くの人びとに浸透したお祭りとなっています。築地本願寺で開催される「はなまつり」では露店が並び、ステージショーや警察署、消防署の体験コーナー等さまざまなイベントが催され、例年にぎわいを集めています。今年は残念ながら、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、「はなまつり」のイベントも中止となりました。
背景の建物は築地本願寺(京都の西本願寺を本山とする浄土真宗の寺)の本堂です。昭和9年にこの地で再建され、建築史家の伊東忠太博士の設計によるインド等のアジアの古代仏教建築を模した建物で、平成26年(2014)には国の重要文化財に指定されています。


おうちで映像・音響室の資料を見てみよう!

昭和館では、4月25日から5月6日までステイホーム週間特別企画として、映像・音響室が所蔵する資料から順次クイズを出題いたします。ご自宅で推測して答えを考えてみてださい。
※回答は出題の翌日、追記掲載します。



この写真は昭和20年(1945)の終戦直後、日本国内のとある鉄道駅を撮影したものです。あわただしく行き交う人びと、買い出しの行き帰りなのか、大きなリュックを背負った人も写り込んでいます。さて、こちらの写真はどちらの駅で撮られたものでしょうか。

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(米国立公文書館蔵)


(4月30日、回答を追記しました)
北海道札幌市の札幌駅南口を撮影したものです。札幌に初めて駅が開業したのは明治13年(1880)、小樽を結ぶ路線でした。その後、機関車の煤煙が吹き込んだ火事で焼失するなどあり、この写真に写る駅舎は3代目で、明治41年に建設、昭和27年まで使用されたものです。
戦中の札幌は、空襲による大きな被害は無かったものの、戦後しばらくは大通公園や道庁の庭も畑として使われるなど、深刻な食糧不足が続きました。札幌駅は、富良野など農村部への買い出し客や復員兵でごった返し、無蓋車(屋根の無い貨車)に客を乗せて運行していました。写真撮影に目もくれず行き交う人びとから、当時の窮状が伝わってきます。
現在の札幌駅は5代目となり、昭和63年に開業。外観デザインに3代目の洋風建築のディテールや温かみのある色彩などのイメージが取り入れられました。その後も周辺では開発がすすみ、38階建てのJRタワーの開業や、札幌駅と大通公園をつなぐ地下歩行空間も整備されています。令和12年(2030)に計画されている北海道新幹線の札幌延伸時には、南口付近に新たな駅ビルと新幹線用のホームが設けられる予定となっています。
3代目の札幌駅は、「北海道開拓の村」に再現展示されています。

現在の札幌駅
(現在の札幌駅南口)


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