2020-05

おうちで映像・音響室の資料を見てみよう!

昭和館では、4月25日から5月6日までステイホーム週間特別企画として、映像・音響室が所蔵する資料から順次クイズを出題いたします。ご自宅で推測して答えを考えてみてださい。
※解答は出題の翌日、追記で掲載します。



本日は映像・音響室が所蔵する映像資料からの出題です。映像のキャプチャ画像から推測してみてくださいね。
昭和20年(1945)9月の占領期に米軍が撮影した映像で、東京や横浜の街頭風景が映し出されています。現在この建物は残っていませんが、昭和9年2月に開館した東宝宝塚劇場(東宝)初の直営映画封切館です。
さてここで問題です。こちらの劇場は東京のどのあたりにあったでしょうか。館名にも場所の名前が入りますよ!

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(米国立公文書館蔵)


(5月6日、解答を追記しました)
こちらの建物は「日比谷映画劇場」です。現在の日比谷シャンテが建っている場所にありました。
映像には劇場の周りに列をなす多くの人びとが映し出され、入口には昭和20年8月30日に公開された「花婿太閤記」上映中のポスターが貼られています。戦争が終わり、空襲に脅かされる毎日から解放された人びとの様子がうかがえます。
「日比谷映画劇場」はたくさんの映画ファンに惜しまれながら昭和59年に閉館となりました。

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(米国立公文書館蔵)

200090_3
(米国立公文書館蔵)

【参考】国立映画アーカイブ
https://www.nfaj.go.jp/onlineservice/digital-gallery/dg20130904_004/


ステイホーム週間特別企画は本日にて終了となります。お楽しみいただけましたでしょうか。クイズの出題に使用した資料は、昭和館5階の映像・音響室の端末にてご覧いただけます。臨時休館期間が終了いたしましたら、是非ご来館くださいませ。


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#昭和館 #おうちミュージアム #紙芝居 #梅田佳声 おうちで紙芝居!梅田佳声さん「ぎくがく地獄」

#昭和館 #おうちミュージアム #紙芝居 #梅田佳声
おうちで紙芝居!
昭和館紙芝居定期上演会でこれまで演じられた作品を紹介します。
ここでは梅田佳声さんによる街頭紙芝居をお楽しみください!
「ぎくがく地獄」 
画/伊豆井さと枝
案/赤坂やすを
製作/富士会
製作年/戦後
<登場人物>
詩 郎:家族のため百足屋敷に働きにきた少年。
榎(えの) 本(もと):百足屋敷の主人。片足には義足がはめられている。
謎の少女:地下室の棺桶に眠っている少女。
<あらすじ>
母と妹を残し、百足屋敷と呼ばれる謎の邸宅に奉公することになった詩郎少年。奇怪な雰囲気をもつ屋敷の主人・榎本と詩郎の二人で暮らし始めた。
ある日榎本が外出すると詩郎は屋敷内の散策を始め、庭の片隅に地下へ通じる階段を見つける。階段を下りると地下室があり、なんとそこには謎の少女が横たわる棺桶があった。
棺桶の中の少女が吸血鬼だと気づいた詩郎が、たがねと金づちでとどめをさそうとした時、突如として吸血鬼へと姿を変えた榎本が現れ、詩郎ののど元に噛みついた。
榎本に襲われた詩郎は吸血鬼となり、夜の町へ向かうのであった・・・果たして

8巻:https://www.youtube.com/watch?v=nQJvqTSqeOw
11巻:https://www.youtube.com/watch?v=xnBbjddn2Dc
22巻:https://www.youtube.com/watch?v=_eARgyV2v4U
25巻:https://www.youtube.com/watch?v=ar_i3_dAtts

<梅田佳声さんプロフィール>
 昭和3年(1928)、東京府東京市京橋区(現・中央区)霊岸島の生まれ。浪花節の好きな少年だった。紙芝居の講習を受けるもそこで知り合った相棒と俳優の道に進み、漫才なども経験する。29年頃紙芝居コンクールで、紙芝居実演家の右手和子と出会い、紙芝居の可能性を感じていた。
 39年、30歳の時、病気で芸能界を引退。印刷会社に就職。
56年、加太こうじの紹介で森下正雄とともに紙芝居「ライオ
ンマン」などを台東区立下町風俗資料館にて演じることになった。その後、紙芝居関係者との交流を深め、紙芝居師としての活動を続けた。平成27年に逝去。

#昭和館 #おうちミュージアム #紙芝居 #梅田佳声 おうちで紙芝居!梅田佳声「あちゃらかぱあ」

#昭和館 #おうちミュージアム #紙芝居 #梅田佳声
おうちで紙芝居!
昭和館紙芝居定期上演会でこれまで演じられた作品を紹介します。
ここでは梅田佳声さんによる街頭紙芝居をお楽しみください!
「あちゃらかぱあ」
製作/自由社
製作年/戦後 
<登場人物>
あちゃらかぱあ:浮浪児の男の子。自慢の怪力でマントの怪人に立ち向かう。
マントの怪人:顔に包帯を巻いている謎の男。仲間と強盗をたくらむ。
正夫少年:あちゃらかぱあに助けられた少年。
<あらすじ>
静かな海岸の埋立地。そこに止った一台の自動車から引き
ずり出されたのは、正夫少年だった。マントの怪人に捕われた正夫少年の命が危ない!その時、側にころがっていた大きな土管の中から少年がでてきた。
 『やいやい、貴様は何だ。』
 『おいらかい、あちゃらかぱあだよ。』
 マントの怪人とその仲間があちゃらかあぱあに迫ってくる。すると、あちゃらかぱあはひらりと身をかわし、マントの怪人を掴んで宙にふり廻した。慌てて逃げてゆくマントの怪人を見送る二人の少年。危ないところをあちゃらかぱあに助けられた正夫少年であったが、このあと、二人は大きな事件に巻き込まれていく・・・・ 果して。

1巻~ https://youtube.com/watch?v=Ggf-bCVDT2Y
4巻~ https://youtube.com/watch?v=XNf9RT0-QLY
9巻~ https://www.youtube.com/watch?v=nGY_-gLuM3w
13巻~ https://www.youtube.com/watch?v=EzqiOhH0bzA
16巻~ https://www.youtube.com/watch?v=cBJ3444LstA

<梅田佳声さんプロフィール>

 昭和3年(1928)、東京府東京市京橋区(現・中央区)霊
岸島の生まれ。浪花節の好きな少年だった。紙芝居の講習を
受けるもそこで知り合った相棒と俳優の道に進み、漫才など
も経験する。29年頃紙芝居コンクールで、紙芝居実演家の右
手和子と出会い、紙芝居の可能性を感じていた。
 39年、30歳の時、病気で芸能界を引退。印刷会社に就職。
56年、加太こうじの紹介で森下正雄とともに紙芝居「ライオ
ンマン」などを台東区立下町風俗資料館にて演じることに
なった。その後、紙芝居関係者との交流を深め、紙芝居師と
しての活動を続けた。平成27年に逝去。

#おうちミュージアム #昭和館 googleマップで昭和館見学!

#おうちミュージアム #昭和館
新型コロナ対策のために休館している昭和館ですが、googleマップでも昭和館の常設展示室の一部が見られます!
お休みの期間にごらんいただき、開館をお待ちください。

家族の別れ

第1ブース

第3ブース

第5ブース

第8ブース

#昭和館 #おうちミュージアム
昭和館のホームページ「キッズナビ」もご覧下さい。
https://showakan.go.jp/kids/index.html
「さわって試そう」
 いまから70年前、昭和のくらしを見て、さわって、体験してみよう!
 ・巨大トリックアート
 ・防空ごう
 ・和男君の防空たん検
 ・井戸ポンプ・米つきびん
「動画で調べよう」
 昔のめずらしい動画・音楽・写真。タッチパネルで調べてみよう!
「本を読もう」
 昭和のくらしがわかる本がたくさん。まんがも、絵本も、自由に読もう!
「見てみよう」
 いまから70年前、昭和のくらし。時代をだとって、見てみよう!

おうちで映像・音響室の資料を見てみよう!

昭和館では、4月25日から5月6日までステイホーム週間特別企画として、映像・音響室が所蔵する資料から順次クイズを出題いたします。ご自宅で推測して答えを考えてみてださい。
※解答は出題の翌日、追記で掲載します。



とある島の岸辺で、二人の米軍下士官が向こう岸の高台にある建物と対岸につなぐ長い橋を眺めています。さてこの島の名前は何という島でしょう。

010494(投稿データ)
(米国立公文書館蔵)


(5月4日、解答を追記しました)
この写真は昭和22年(1947)に、愛知県蒲郡市の竹島という周囲680メートルの小さな島から撮影されました。三河湾に浮かぶ竹島は、全島が照葉広葉樹に覆われ、樹下にはヤブソテツやツワブキ、テイカカズラなどの高等植物が多く群生し、これらの植物群を保護するため昭和5年に島そのものが国の天然記念物に指定されています。また竹島には江の島・竹生島・厳島などと共に、日本七弁天の中のひとつとされている八百富神社があり、対岸の蒲郡市竹島町へは387メートルの歩いて渡れる竹島橋でつながっています。
高台に建っているのは蒲郡ホテル(現・蒲郡クラシックホテル)です。蒲郡ホテルは戦前に国際観光局から横浜、大津などと共に「国際観光ホテル」として選ばれました。
終戦後は昭和27年まで米軍のレストセンターとして接収され、米軍の福利厚生施設として利用されました。現在でも戦前と変わらぬ建物で営業されています。
蒲郡市内には蒲郡温泉郷があり、温泉観光地として親しまれています。

おうちで映像・音響室の資料を見てみよう!

昭和館では、4月25日から5月6日までステイホーム週間特別企画として、映像・音響室が所蔵する資料から順次クイズを出題いたします。ご自宅で推測して答えを考えてみてださい。
※解答は出題の翌日、追記で掲載します。



白い大きなアジア風の建物の前に多くの人びとが集まっています。大勢の人びとの中には大きな白象の像が目立ち、小さな子どもたちがその像を引いて歩いている場面です。さて、どこで撮られたものでしょうか。

011213
(米国立公文書館蔵)


(5月2日、解答を追記しました)
昭和22年(1947)4月に東京都中央区の築地本願寺の前で撮影されたものです。この写真は灌仏会(かんぶつえ)の「はなまつり」の光景です。
灌仏会とはお釈迦様の誕生日を祝う仏教行事で、一般的には「はなまつり」と呼ばれています。「はなまつり」では、生母の摩耶夫人が白い象を夢にみて懐妊しお釈迦様が誕生したとされていることから、白い象が登場し、その像を引いて練り歩く稚児行列を行うところもあります。そして境内の花御堂では安置した誕生仏像に柄杓で甘茶を掛けてお祝いをします。
近年の「はなまつり」は幼稚園や学校、地域の行事として行われることもあり、多くの人びとに浸透したお祭りとなっています。築地本願寺で開催される「はなまつり」では露店が並び、ステージショーや警察署、消防署の体験コーナー等さまざまなイベントが催され、例年にぎわいを集めています。今年は残念ながら、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、「はなまつり」のイベントも中止となりました。
背景の建物は築地本願寺(京都の西本願寺を本山とする浄土真宗の寺)の本堂です。昭和9年にこの地で再建され、建築史家の伊東忠太博士の設計によるインド等のアジアの古代仏教建築を模した建物で、平成26年(2014)には国の重要文化財に指定されています。


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