大橋鎭子と『暮しの手帖』
現在放映中の朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のモデルである大橋鎭子(1920-2013)は『スタイルブック』『暮しの手帖』の創刊に関わりました。
図書室では、暮しの手帖社の本や雑誌を約200 冊所蔵しています。
これらの雑誌を通して、大橋鎭子という人を知るだけでなく、大橋鎭子が生きた時代を感じることができるのではないでしょうか。
通常は書庫で保管していますが、期間中は一部を自由に手に取ってご覧いただけるようにしました。ぜひご利用ください。
平成28年4月23日~9月4日 展示
http://www.showakan.go.jp/floor/4f/index.html
『スタイルブック』創刊
『スタイルブック』は終戦の翌年、今から70年前の昭和21年(1946)5月に創刊されました。終戦前から食糧事情は悪化の一途をたどり、着るものは買い出しの際に食糧と交換され、「たけのこ生活」(たけのこの皮を1枚ずつはぐように衣類等を少しずつ売って食いつなぐ生活)という言葉が使われていた時期です。
「女の人の役に立つ本を出版したい」。それが大橋鎭子の思いでした。
『スタイルブック』創刊号の巻頭のことばや「新しい生地がたとえ一尺もなくても」といった記事からは、焼け跡から立ちあがろうとする人たちの心に少しでも希望の光を届けたいという願いが感じられます。
どんなに みじめな気持でいるときでも
つつましい おしゃれ心を失わないでいよう
かなしい明け暮れを過しているときこそ
きよらかな おしゃれ心に灯を点けよう
つつましい おしゃれは
あなたの心ににおう一茎の青い花
あなたの夢に流れるとおい子守唄
そして あなたの日日を太陽へ翔けらせる翼
お友だちよ 歎くのはやめよう
私たちに青春のあるかぎり
私たちには希望がある
『スタイルブック』創刊号(昭和21年5月発行)巻頭のことば
『スタイルブック』は都内の図書館でもほとんど所蔵していません。国立国会図書館でもマイクロフィルムでしか利用できない、大変貴重な資料です。
『美しい暮しの手帖』創刊
普段着る服を作る記事が中心だった『スタイルブック』に、食と住、それに随筆を加えて内容を充実させた『美しい暮しの手帖』が、昭和23年(1948)9月に創刊されました(22号から『暮しの手帖』に誌名変更)。「毎日の暮らしに役に立ち、暮らしが明るく、楽しくなるものを、ていねいに」という思いがこめられた「新しい婦人雑誌」の誕生です。
創刊号の「直線裁ちのデザイン」では大橋鎭子自身が、「自分で結える髪」では妹の芳子がモデルをつとめるなど、何もかもが創刊メンバーによる手作りの雑誌でした。
図書室では、暮しの手帖社の本や雑誌を約200 冊所蔵しています。
これらの雑誌を通して、大橋鎭子という人を知るだけでなく、大橋鎭子が生きた時代を感じることができるのではないでしょうか。
通常は書庫で保管していますが、期間中は一部を自由に手に取ってご覧いただけるようにしました。ぜひご利用ください。
平成28年4月23日~9月4日 展示
http://www.showakan.go.jp/floor/4f/index.html
『スタイルブック』創刊
『スタイルブック』は終戦の翌年、今から70年前の昭和21年(1946)5月に創刊されました。終戦前から食糧事情は悪化の一途をたどり、着るものは買い出しの際に食糧と交換され、「たけのこ生活」(たけのこの皮を1枚ずつはぐように衣類等を少しずつ売って食いつなぐ生活)という言葉が使われていた時期です。
「女の人の役に立つ本を出版したい」。それが大橋鎭子の思いでした。
『スタイルブック』創刊号の巻頭のことばや「新しい生地がたとえ一尺もなくても」といった記事からは、焼け跡から立ちあがろうとする人たちの心に少しでも希望の光を届けたいという願いが感じられます。
どんなに みじめな気持でいるときでも
つつましい おしゃれ心を失わないでいよう
かなしい明け暮れを過しているときこそ
きよらかな おしゃれ心に灯を点けよう
つつましい おしゃれは
あなたの心ににおう一茎の青い花
あなたの夢に流れるとおい子守唄
そして あなたの日日を太陽へ翔けらせる翼
お友だちよ 歎くのはやめよう
私たちに青春のあるかぎり
私たちには希望がある
『スタイルブック』創刊号(昭和21年5月発行)巻頭のことば
『スタイルブック』は都内の図書館でもほとんど所蔵していません。国立国会図書館でもマイクロフィルムでしか利用できない、大変貴重な資料です。
『美しい暮しの手帖』創刊
普段着る服を作る記事が中心だった『スタイルブック』に、食と住、それに随筆を加えて内容を充実させた『美しい暮しの手帖』が、昭和23年(1948)9月に創刊されました(22号から『暮しの手帖』に誌名変更)。「毎日の暮らしに役に立ち、暮らしが明るく、楽しくなるものを、ていねいに」という思いがこめられた「新しい婦人雑誌」の誕生です。
創刊号の「直線裁ちのデザイン」では大橋鎭子自身が、「自分で結える髪」では妹の芳子がモデルをつとめるなど、何もかもが創刊メンバーによる手作りの雑誌でした。
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